グローバルランゲージ(地球語)としての平和会議記録と補遺

教養語学教育で情報をクリティカルに読み解く意義と実践:
英文戦争記事に見る視点、策略、誤謬


Critical reading in liberal arts education: Problematizing a magazine article on war
藤井哲郎    (国際基督教大学英語教育プログラム )


概要


日本の教育習慣ではよく教科書に書いてある情報は正しい真実の記述であると教える。しかし、これが英語教育で行われると学生の思考が単なる欧米の視点の模倣へと陥る可能性がある。すなわち、実社会で飛び交う英文情報には得てして誤りや歪みが含まれるものだが、学生は、こと英語教材の内容については疑うことをせず、それを間違いのない英語の手本として学んでいる。このような学びの方法では、一方的な視点で切り取られた事実や英語国の通説をあたかも正しい知識だと認識し、吸収してしまう危険性がある。
本発表はリベラルアーツ教育に重きを置く国際基督教大学の英語教育プログラムのコースの一つInformation Gatheringという授業の実践報告である。具体的に、このワークショップでは雑誌ニューズウィークのコラム、「広島原爆の目撃者」の記事の分析読書を通して、一見、なんの偏見もないように見える事実の列挙が、実は著者の意図や論理、誤信を含んでいることを見破る過程を参加者に追体験してもらった。
このようなメディアの情報を社会的文脈でクリティカルに分析・評価するトレーニングは、他者の意見に対して、論旨のしっかりした正当な反論を組み立てる土台となり、また情報操作やプロパガンダに惑わされない責任ある「かしこい市民」の 育成に不可欠な要素であると論じた。

キーワード: 教養教育、情報教育、クリティカルシンキング、分析読書、メディアリテラシー


日本の学校教育の習慣ではよく教科書の記述は正しい真実の情報であるとし、それを知識として吸収し、暗記することが求められる。しかし、これが英語教育で行われると、教科書に書いてある英文の内容を正しいものと無条件で受け入れ、学生の思考が単なる作者の視点の模倣へと陥る可能性がある。すなわち、実社会で飛び交う英文情報にはえてして誤りや歪みが含まれるものだが、学生は、こと英語教材の内容については疑うことをせず、それを間違いのない英語の手本として学んでいる。このような学びの方法では、一方的な視点で切り取られた事実や英語国の通説をあたかも正しい知識・真実だと認識し、吸収してしまう危険性がある。本発表はリベラルアーツ教育を標榜する国際基督教大学の英語教育プログラムのコースの一つInformation Gathering(情報収集法)という授業の実践報告である。
まずはじめに、教養語学教育が大学教育に占める位置を見きわめ、その役割を論じた。下の表は、教養科目の一部として英語教育が扱う内容・コンテントは何であるべきなのかを探るための枠組みである。

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Fig. 1 教養科目に対峙するのは専門科目である。そして文学、言語学、応用言語学といった言葉に関連した学問(広い意味で語学)を教授するのは専門科目とみなされ、それらの教員がクラスで扱う内容、教科書のコンテントは、文学か、言語学か応用言語学に定まっている。
また教養科目には語学以外の学問もある。たとえ現在の大学システムでは教養課程という名称を用いなくとも、多くの学校は今でも法学、心理学、歴史学、経済学、哲学、統計学、生物学などの科目を基礎教養科目として提供している。そしてそれらのクラスではよく心理学概論、経済学概論といった「何々概論」という内容が扱われ、おのずと教えるべきコンテントが決まっている。
当然のことながら、専門に進むと「概論」という接尾辞がとれ、商学、会計学、経済学という専門的、実務的な学問情報がコンテントとして扱われる。
さて、それでは教養英語教育で教える「中味」コンテントは何であろうか。英語という「媒体」は決まっているがそれを使って何の知識を伝えているのであろうか。大学の英語教科書はどんなトピックを扱っているのだろうか。旅行、グルメ、ショッピング、スポーツ、ファッション、健康といった一般大衆雑誌の扱う内容と最高学府の教養英語教科書の扱う内容に差があるのだろうか。1番のボックスにはどんな情報が入っているのだろうか。空洞化してはいないだろうか。
国際基督教大学(ICU)の英語教育プログラムの場合、大学の1年次において全て英語で行われるクラスが週11も課せられる。そこでは、Content-based内容中心Curriculumの考え方を採用していて、英語を媒体として内容を学ぶ授業がある。扱われる主なトピックは Educational Values, Culture, Perception & Communication, Issues of Race, Bioethics, Vision of the Future.(大学教育の意義、文化、認知とコミュニケーション、人種問題、生命倫理、未来の環境)などである。
ICUには教養学部しかなく、それはリベラルアーツ教育を意味する。そこでは文系理系の枠組みから解放され自由になって、視野を広げ、学生に複数の視点を持たせることを目標にしている。そして、その土台となる英語教育プログラム では、理学科、人文学科などの学科の違いに関わらず全ての学生が同じクラスを取り、上記のようなコンテントトピックが与えられる。つまり、少なくとも表のボックスNo.1に入る内容コンテントはあるのである。

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しかしながら、問題がないわけではない。内容を「わかろう」とすることと「信じる」ことは違うのだが、いく人かの学生は英文を理解しようと一生懸命になるあまり、与えられた情報を無防備に受け入れてしまう。例えば、英語教育プログラムの5つのクラスで用いられる教科書は米国人の米国人による米国人のために書かれた文章がほとんどであり、書かれている意見や情報を無批判に受け入れては偏りのある視点を習得しかねない。しかし、だからといって、中近東アジアを含む、世界のいろんな国々の視点から書かれた国際的英語テキストなるものを教科書として選出することは、米国人が大勢を占める現在の英語教育プログラムでは実現不可能である。そこで、課せられた英文テキストをクリティカルに読み解き、情報を評価し、その真偽を確かめる技法や手順の指導、ボックスNo.2に入る「方法論」が不可欠となる。
ところで他の専門科目には情報の真偽を確かめるために用いられる、ある程度学問的に確立された検証手順・方法論がある。科学的方法、数量的方法、質的方法、実験的方法、統計的方法、比較例証法、逸脱事例分析法などがそれである。しかし、教養英語教育で扱われる情報についてはその真偽を確かめる手段がはっきりしていない。 いろいろな英文情報に適応できる汎用性の高い検証手順の確立、方法論というレベルにまで及ぶと皆無である。そこでこのワークショップでは、情報を社会的文脈でクリティカルに分析・評価する実践トレーニングの一部を紹介した。具体的には雑誌ニューズウィークのコラム、「広島原爆の目撃者」の記事の分析読書を通して、一見、なんの偏見もないような事実の列挙が、実は著者の意図や論理、誤信を含んでいることを見破っていく過程を参加者に追体験してもらった。
最後に、このように手順を追ったクリティカルリーディングのトレーニングは、他者の意見に対して、感傷的にではなく、論旨のしっかりした正当な反論を組み立てる土台となること、また情報操作やプロパガンダに惑わされない責任ある「かしこい市民」の育成に不可欠な要素であると結論づけた。

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